生きづらさと他人の目

他人の目は、近いところにある。
友人や家族、同僚のような、日常的に関わる人たちほど、その影響は強くなる。

その中には、共有された価値観や「普通こうする」という基準がある。
その枠から外れるような選択をしようとすると、無意識に止めが入ることがある。

それは危険信号のように働く。
今までの環境でうまく生きるために身についた、安全のための反応だ。

だから、その止めが入ること自体はおかしいことではない。


ただ、その止めが必ずしも「正しい方向へのブレーキ」とは限らない。

それは過去の環境での安全基準であって、
これから進む場所の基準とは違う可能性がある。

未開の場所に進もうとするときほど、
既存のルールは「そっちは危ない」と反応する。


そこで大事になるのは、何を基準に選ぶかだと思う。

他人の人生を生きているわけではない。
誰かの評価軸の中で、自分の方向を決め続ける必要はない。

もちろん影響は受ける。
でも、最終的に歩くのは自分の人生だ。


だからこそ、止めが入ったときほど、
その違和感を一度そのまま見てみることが大事になる。

それは「やめるべきサイン」なのか、
それとも「今までの枠から出ようとしているサイン」なのか。


生きづらさは、外側の声に従い続けることで強くなることもあれば、
その声を“参考意見”として扱い直したときに、少しずつ変わっていくこともある。


他人の人生を生きているわけではない。
そう思えた瞬間から、選択の意味は少し変わる。


思い切って挑戦するというのは、
不安が消えることではなく、
不安があっても選ぶということかもしれない。

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