人は生きていると、
「これ違うんじゃないか?」
「あれっておかしくないか?」
そう感じる瞬間があります。
この違和感は誰にでもあります。
ただ社会では、それを“深く考えない方がいいもの”として扱う空気があります。
いわゆる、暗黙知のようなものです。
空気を読む。
波風を立てない。
とりあえず合わせる。
そうやって違和感は後回しにされていきます。
しかし現状はどうでしょうか。
心の不調を抱える人は、年々増え続けています。
それは単なる偶然ではなく、
小さな違和感を見過ごし続けた結果が、
積み重なって表面に出てきている側面もあります。
違和感は問題の“初期サイン”です。
小さいうちは軽く見える。
でも、それが続くとズレになる。
ズレが続くと、苦しさになる。
気づいた時には、
「どこからおかしくなったのか分からない状態」になっていることもある。
でも多くの場合、
最初はほんの小さな違和感です。
無視したこと自体が問題というより、
無視し続けたことが積み重なる。
違和感は消すものではなく、
どこから来ているのかを見るものです。
そこを見ないまま進むと、
同じ違和感を形を変えて繰り返すことになります。
そして、しんどくなった人に対して、
「弱い」「根性がない」といった言葉が向けられることがあります。
でも本来、それは逆です。
しんどさは、突然生まれるものではありません。
小さな違和感やズレを、長い間抱え続けた結果として表に出てくるものです。
つまり、耐えられなかったから崩れたのではなく、
耐え続けたから限界が来ただけの場合も多い。
それでも社会では、結果だけが見られます。
立ち止まった人。
動けなくなった人。
調子を崩した人。
その「今の状態」だけを切り取って、評価してしまう。
でも本当は、その前に積み重なっていたものがあります。
違和感を飲み込むこと。
無理を続けること。
合わない場所に合わせ続けること。
それらが積み重なった先に、今の状態があります。
だから、しんどくなったことそのものを単純に“弱さ”で説明してしまうと、
何が起きていたのかが見えなくなります。
必要なのは、評価ではなく構造を見ることです。
なぜそうなったのか。
どこでズレが始まったのか。
そこを見ない限り、同じことは形を変えて繰り返されます。

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